2012年4月28日 放送のためのメモ(前半30分)
N.三角山リレーエッセイ、11時台は飯塚優子がお届けします。
こんにちは「かりんず たいむ」です。
きょうの一曲目 小川紀美代の新しいアルバム「ノマド」から
M.「ディスタンシア〜隔たり」
小川紀美代(バンドネオン)、智詠(ギター)
N. 小川紀美代ライブの案内
アルバムタイトル「ノマド」・・遊牧民、さすらいびと 透明な旅の空気が漂う
私も3月末に 久しぶりに3泊4日の旅をしてきました。
JRのキャンペーンに乗った感じかな、岩手まで。
1日目は一日中電車を乗りついで、盛岡の先の北上というところまで行きました。
札幌8:34 → 函館 11:53
函館12:04 → 新青森14:15
新青森14:28 → 盛岡15:35
盛岡16:23 → 北上16:42
初めて東北新幹線に乗りました あちこちに新○○という新幹線専用の駅ができていて
それはもともとの市街地の駅とは別に作られているケースが多いので、駅と言うより
おおきな停留所。ちょっと味気ない。
その点では私が3泊した北上は、在来線と新幹線が両方乗り入れている駅で
そこを拠点にどこへ行くのもとても便利。今回、6日間の乗り放題切符のようなもので
ずいぶんたくさんJRを利用しました。
2日目は、気仙沼と陸前高田へ行ってきました。
知り合いがいるわけでも、なんでもないのですが、唯一の手掛かりがありました。
毎年夏に北海道にやってくる大道芸人のギリヤーク尼ケ崎さん、この時間でも何度もご紹介していますが、
彼が昨年5月に、気仙沼を訪ねて鎮魂のために踊り、その映像を観たことがありました。
それで、その時その場にいた方を紹介してもらい、お訪ねして、初対面でしたがあちこち案内していただきました。
震災から1年、町はずいぶん片付いていましたが、まだまだ壊れた建物がそこいら中に在りますし、
瓦礫も積まれているし、一面何もない空間がどこまでも広がっています。
火事で溶けた歩道橋もそのまま。震災があった夜、テレビの画面で燃え続ける気仙沼を観ていましたが、
あの火事はこのあたりだったのだと思いました。
第18共徳丸という巨大な船が、一隻だけ、残されてありました。
津波で、大きな船が何艘も折り重なって流され、その船が町をなぎ倒していったあり様を、
案内してくださったご夫妻が話してくださいました。
この方の家は、高台にあったので難を逃れましたが、知り合いのご夫妻もまだ行方が分からないとのことでした。
亡くなった方々に手を合わせようにも、晴れた青空の下、茫漠とした空間が広がっているだけです。
7万本の見事な松原が流され、奇跡的に一本だけ残った陸前高田は、気仙沼から車で15分ほどです。
こちらは更に生々しく、町そのものが全くなくなってしまった様子が分かります。
数100人の方が亡くなった公民館と市役所が残されていました。
NHKテレビでも報道されていましたが、この公民館が避難場所だったから、みんなそこへ逃げたのに、
津波が来て3階建ての公民館は完全に水没。市役所の、一部4階建ての屋上に逃げた人だけが助かりました。
その状況が、まざまざと迫ってきます。どこにも逃げられなかったことがわかります。
わずか半日訪ねただけで、胸がつぶれる思いでした。
でも、その町で、あたたかく、明るく迎えてくださった方から、お話をうかがえたことが
何よりもありがたくて、やはり行ってみて良かったと思いました。
3日目は、平泉へ行きました。中尊寺や、奥州藤原氏の遺跡をいくつも見て歩きました。
前の日に見た、地震と津波で一瞬のうちに消え去った町と、千年の時間を越えて残るかつて生きた人間の息吹き。
その両方にふれた旅でした。
もうひとつ、今回は「耳の旅」でした。
毛越寺(もうつうじ)というお寺の遺跡 遣水(やりみず)の水音
中尊寺白山神社の入口 竹林が風に鳴る音
ホテルが駅に直結 部屋で聞く一番電車の音
曲は、南佳孝で「サクラの花よ」。南佳孝さんは震災の時、花巻に居たそうです。
ライブのためホテルに着いたところで地震が来て、数日ホテルから出られなかったそうです。
交通手段が復帰して秋田に出て、そこで初めて津波のことを知ったそうです。
この「サクラの花よ」は被災地への思いを込めて作った曲だそうです。
M.「サクラの花よ」 3:55 南佳孝